- 作者: 茂木健一郎,南直哉
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/04/01
- メディア: 新書
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「この世がどうなっているか知りたい」と思っている。
昔は物理学者になって解明したいと思った。数学というか算数が苦手で撃沈。
仏教(チベット仏教ニンマ派、テーラワーダ仏教、ゾクチェンなど)や老子などの本を読んだ。これは科学だと思った。
ノーベル賞を受賞したデンマークの理論物理学者ニールス・ボーアもそう思っていたみたい。
ボーアは、量子論の解き明かした粒子と波の二面性、位置と速度の不確定性などの世界像を「相補性」と名付け、後半生には量子物理学と東洋哲学に類似性があるとして東洋哲学を研究していた。 さらに、次のようにも言っている。 「原子物理学論との類似性を認識するためには、われわれはブッダや老子といった思索家がかつて直面した認識上の問題にたち帰り、大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でもある我々の位置を調和あるものとするように努めねばならない。」 その傾倒ぶりは、偉大な功績により、デンマーク最高の勲章を受けた時、「紋章」に選んだのが、陰と陽、光と闇の互いが互いを生み出す、東洋の図面、太極図であったことからもうかがえる。 その紋章は、デンマークのフレデリック城に、世界の王室・元首の紋章とともに飾られている。
wikipedia:ニールス・ボーア
養老孟司さんが「私はお経を書いていることに気づいた。私が研究してきたことはお経に書いていた。」みたいなことを書かれているの見て、やはりそうかと思った。
言葉や理論だけでは理解できない。言葉や理論での理解には限界がある。自分の知覚能力を磨かないとわからない領域がある。理論を聞いてもイチローのようなバッティングをしたり、クリスティアーノ・ロナウドのような無回転シュートを打てないのと同じ。
大切なのは理論や理屈ではなく、"Just do it!"
瞑想会でも行ってみるかな。
最近はお坊さんもブログ書いてるんだ。ありがたや。
http://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/
追記:
そもそもなんで仏教に興味を持ち始めたかというと、高校生くらいのときに「全ては相対的。絶対的な存在はない。例えば、この宇宙に自分以外のものが存在しなかったら、自分を認識できるか。いやできない。自分が存在するかどうか認識できない。自分が今見ているものは何か。光(電磁波)が物質に反射されたものが目に入って、脳の中で映像化されている。動物によって認識の仕方は異なる。1mという長さは絶対か?1mを2mにして、この宇宙の物質を全て2倍にすれば、2mは1mになるから、相対的ではないか。」とか考えていると、仏教では同じようなことが説明されていて、そしてはるかに深い洞察があった。
でもこのように頭で理論を理解しても本当の意味では理解できていない。「相対的だ」と言っていながら、物事を絶対視して我執にとらわれている。矛盾している。
大切なのは理論ではなく実践。
All I have to do is to "Just do It!".